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人は何故怒るのか?のメカニズムを考える。イライラしない、ストレスフリーでいるために気を付けたい事を自戒をこめて考察をする。

  • essay

更新日📅 June 08, 2020

記事投稿日📅 May 26, 2017

⏱️10 分で読めます

子供の頃はすごく泣き虫だった。8歳の頃、養父に「男が泣いていいのは親か奥さんが泣いたときだけだ」と言われたのを今でも覚えている。小学校高学年の時は滅多なことでは涙を流さなくなっていたが、代わりに怒ることが多くなった。大抵の場合それは親との衝突で起こった。

歳を重ねるといろいろな理由で怒りが芽生える。突発的にそれがこみ上げることもあれば、積み重なっていくタイプのものもある。

怒ったこところを見たことない友人をみて、「どうしてあんなに人間できているんだろう」と不思議に思う事もあるし尊敬もする。

この記事の目的 - 「怒り」を知る事で次に備える

「我慢とのバランスが大事」みたいな抽象論でまとめ片付けてしまってはそこからなにも成長しない。

それが次に起こったときに、その状況と自分の状態がどういう過程を辿ってストレスや怒りが発生したのかをもう少し具体的に分析する事で、この感情との付き合い方の改善改良を試みる。

怒りは「不安」の二次感情である

  • 一次感情:自分が本当に感じてる感情
  • 二次感情:一次感情を感じないようにするためのダミー感情

「怒り」という感情を心理学的にざっくり説明すると、「怒り」は「不安」の二次感情であることがわかっているらしい。この事実は、昔大切にしていた人に怒ってしまった事への後悔で、「なんで人は怒るのか」的なことをググったときに見つけた記事複数に書かれていたことだった。

参考URL: 怒り - Wikipedia

自分は不安を感じて怒っていたのかと振り返ってみれば当時の状況に照らし合わせて考えると、ストレスを感じた理由として辻褄が合う。大抵自分が傷つくのを恐れて怒る事が一番多いケースだった気がする。

プライドを守るためだとか、相手に同じ過ち(自分が害を被ったと感じた相手の行為)を将来してほしくないがための予防だとかって理由で怒っている。歳をとって変わったのは、その理由を怒る前に自覚できるようになった事だろうか。

親しい人間(親友、恋人、家族)に対しての怒り

怒り方にはいくつか種類がある。仏教では怒りは10種類に分かれているらしい。国や政治、世の中に対しての怒りなども存在するが、対象をわけるとキリがないので、ここでは自分と親しい人間に対して湧き上がる怒りについて考察する。

恋愛感情変化のメカニズムから学ぶ

全ての恋愛には共通のサイクルとステージ(大きく分けて3つ)があり、それに伴った共通の化学的な体の変化があるということ。

3つのステージとは、第一ステージ「LUST」→第二ステージ「ATTRACTION」→第三ステージ「ATTACHMENT(愛着)」である。私の解釈だが、盲目的にパートナーを愛することができる初期ステージを過ぎたあとでお互いの愛情レベルや理解が一定に満ちていないと、持続的な恋愛関係には至らないのと、外的要因による破錠を招きやすくなる。

パートナーに対して怒りが発生しはじめる時期

先述の3つのステージに当てはめて考えると、第二ステージから第三ステージに移行する過程と、それ以降で発生するという事になる。最初の方で述べたが、怒りは「不安」の二次感情なので、ようは不安が見え始め、溜まり始める時期という事になる。

将来性を意識しているから不安(怒り)が芽生える

その時だけの通りすがりさんだったら大抵の事は我慢できる。「次」があることを意識することで、学習し、防衛本能が働く。思い返してみると、自分は自分が親しいと思っている人程、自分自身が怒りやすくなってしまう傾向が多かった。

余程理不尽なことが起きない限りは、赤の他人に怒りが芽生えることはない。仲が良ければ良いほど、僅かな理不尽さに敏感に反応してしまう。恋愛において、友達のときは優しかったのに、付き合い始めるとだんだんイライラすること多くなるのはこういった要素も少なからずあると思われる。

上記の「怒りは不安の二次感情である」という事実に当てはめて考えると、仲が良くなるほど感じる不安が大きくなるという事になる。仲が良いほど、その人間関係に将来性があることを意識しているから、「未来の為」に怒ってしまうのである。

他人に怒らないようにするには

言葉にしてみると当たり前の事なのだがは、結局大切な友人であれ、恋人であれ、家族であれ、他人であることをもっと認めてあげることが大事だと思っている、が、これがなかなか難しい。今だにふとした時に、「友達(恋人、家族)なんだしそれくらい・・・」的な期待を抱いてしまっている時がある。この期待や願望にはおそらく際限がない。具体的には、下記の二つを常に意識する。

  • 期待をしない
  • 感謝を日頃から口に出す

期待をしない

どんな相手も自分にとって不完全である(完全の具体的定義は各々違うはず)。種の多様性の一部であって、不完全であることは元来悪でも善でもない。同じ言語を仮に喋るパートナーであっても、言語に対する理解は違うのが常。知性で相手が劣ると思ってもそれは悪ではない。種として必要な思考態度や深度の多様性の一部にすぎないということを理解する。

感謝を日頃から口に出す

能動的に、自分にとってプラスの感情になりうる他者の行動や態度を探し出し、自分はそれを認知しているという事を行為者に認識させるまでの相対的なプロセスを指す。能動的というところがミソ。人間は環境適応する有機体である。短所はだまってても知覚できるようにできている。

適応(慣れ)すると苦しかったことが苦しくなくなり、感じなくなりわからなくなる。長所は意欲的に探さないと見つからない事が多い。

怒る事が幼稚だと世間的に言われる理由

自分以外に起こる事象が自分の期待される範囲外の事であった場合にストレスを感じ、不安を感じそれが怒りに繋がる。。「怒る」ことが幼稚だと考えられているのは成熟して知識や経験を積むことで。自分の周りに起こることの事象と、自分が持つ期待との折り合いのつけ方がわかってくる、その結果解消される不安が多くなる。

成長して不安が解消されることで過去を振り返ったときに、「不安」が元で怒っていた過去の自分の未熟具合が認識できるから、「怒る」ことは経験不足故に生じた感情と定義されやすい為に幼稚だという印象が付きやすいのではないだろうか。

「怒り」は悪か?感情論は悪で論理が善なのか?

世間一般的に、「怒る」というのは良くないことで、未熟なことと思われている気がする。別に怒ることを正当化するつもりはない。怒る状況や理由、怒り方なんて様々なはず。ただ世間一般的に「怒る」ことがネガティブイメージをもつのはある種必然である。

「怒る」行為は論理的説得とは別の感情的アプローチである。

人間社会における裁判では論理がものをいう。

論理的解釈でもって善悪を判断する。

同じ日本に住む人間達でも皆微妙に違う考え方をもっているし、同じ単語を使用しても人によって解釈が異なってくる。ある程度統一された日本語というコミュニケーションツールを使っても、どうしてもそこには細かな解釈の違いが生まれる。

「論理」とは複数の人々が行う多様な解釈の統一化をするために物事を客観的事象のみを用いて筋道だててとらえる行為及びその産物である。「各々の脳みその中にある微妙に定義の異なる言葉で作られた意識の共通文脈」を第三者にも分かるように一般化することを論理的アプローチといい、現代社会の中では論理的整合性がとれているものを善と扱う事で秩序を守っているのである。

沢山の考え方が蔓延るこの社会での秩序を保つために、1人1人の感情なんて聞いていられないのである。多様な考えが存在するこの社会における「善」を決めるためには、感情論の前に論理的整合性がとれているかを優先する必要がどうしてもでてくるのである。

怒る感情の存在意義

現代社会において論理的整合性が感情論より優先されることを上で述べたが、これはその社会に関わる人間の数が多い場合の話である。少人数のコミュニケーションでは時に感情論が優先される。極端な例では、脅し恐喝行為なども、他者を説得して自分の利の為に動かすに古来より使われてきた一つのコミュニケーション、説得方法である。感情表現は往々にして、タイマンだと論理より説得効果が高いのである。何百万年も進化をつづけてきた人類に未だに「怒り」が備わっているのはそれが必要だからである。論理だけで物事はうまくはいかない。

自分の勝手な想像だが、男性のほうが論理的思考をする傾向が強いのは、人類の進化の過程で、肉体的に強かった男性が村などの集落を収めるリーダーになることが多かった事から、対多数を統治するために必要なコミュニケーション能力としての論理的思考能力を要求されるケースが多く生じた事実も関係しているのかもしれないと思っている。

それでも感情が高まってしまった時に有効な方法

顔を水につける

「頭を冷やす」という言葉があるが、顔を冷やすのは感情の高ぶりを落ち着かせる科学的に立証されている行為。ポイントは「温度の冷たさ」と「酸素の供給シャットダウン」の2つ。身体が本能的に自分を保護しようとする「潜水反応」とよばれる現象がおき、その人間の体は血管が収縮し、心拍の回数を減らす事で身体が消費するエネルギーを減らそうとする。このプロセスにおいて怒りの感情も抑制される傾向があることがわかっている。

なお、冷やす部分は顔がもっとも効果的だが、ほかの部位でも効果は見られるそう。

風船を膨らませるように呼吸をする

呼吸が遅くなると心拍も遅くなるという「呼吸性洞性不整脈」という現象を利用し副交感神経機能に働きかける方法。感情の高ぶりと心拍数は連動しているため、心拍数を下げる事は感情の高ぶりを沈める効果がある。

思っていることと真逆の行動をする

心理学者である、マーシャ・リネハン博士が提唱する、弁証法的行動療法。「受容」を通じて精神的なバランスをとる。簡単に言うと、怒りが湧いた時は誰かに優しくしてあげる、と言うこと。

自分の感情に寄り添う

上記に挙げた方法はどれも即席での感情コントロール方法だが、この方法は感情コントロール方法というよりは、感情を容認することを助けるものである。

怒りの感情を含むネガティブな感情は、周期的にやってくるものであり、我慢を繰り返したり見ないふりをしていてもいつかは爆発してしまうものである。この方法は、何か問題に直面した時に、別の方法で気を紛らわせることをせずに、その感情に自分自身を浸すことによって、問題を真正面から受け止める方法である。最も難しく、訓練のいる方法だが、最も問題に正しく対処するための姿勢で最も効果のある方法でもある。マインドフルネスを理解し、実践するとよい。

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