祖父の葬儀を経て - 葬儀の価値

祖父の葬儀を経て - 葬儀の価値
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祖父の葬式で急遽日本に帰国した。実際に帰国したのは2018年10月下旬頃だったが、当時は引っ越しや環境変化でてんやわんやしていて時間がとれなかったので、2019年の2月に改めて当時のことを思い返し記録として残しておく事にする。

孫として祖父の葬式に参列する意味を考える

故人を尊ぶ為に葬式をするというのは詰まるところどういうことなのか。

故人の価値の最大化

祖母は躾に厳しい人だった。祖父は寡黙な人だった。祖父は私が生まれる少し前に蜘蛛膜下出血という病気で、脳の言語野に大きいダメージをうけて、言葉を流暢に喋ることができなくなってしまっている。祖母によれば、脳にダメージをうけるまでは、会社ではそれはそれは大変優秀な人だったらしい。

葬式の準備はてんやわんやらしく、自分は祖父の写真アルバム作成を手伝う事になった。祖父にとっての三女(私の叔母)が引っ張り出してきた昔のアルバムをみて、涙ながらに話してくれた叔母の話がとても印象的だった。

この三女には娘が2人いるのだが(私の従姉妹)、この2人娘がもつ祖父のイメージは、言葉が喋れなくなり、仕事ができなくなった後の祖父のイメージである。どちらかといえば面倒をいつも見てもらっていた祖父のイメージしかもっていない。バリバリ仕事をこなしていたカッコよかったころの祖父を知っている叔母にとってみれば、自分の娘が祖父のカッコイイところを全く知らないままでいる事は悔しくて仕方なかったのだろう。

故人が生前いかに立派であったのか、その価値を知る人間は、その価値を知らない人間にそれを伝えたいのである。

葬式とは残された人の為に行うものだというが、これにはこういった側面も含まれているのである。

今回のケースでいえば、祖母がもっとも祖父の価値を知っている残された人間である。その祖母の為にも、祖母が知っている祖父の価値をそれに近いレベルで認め、敬う事、そして感謝する事、そしてその姿を祖母に見せることが、祖父の葬儀における孫としての役割だなということを、三女が語る三女とその2人娘がもつ祖父に対するイメージギャップの話を通じて私は学んだのである。

60年間連れ添った夫婦の別れ

パートナーとの死別は、人間が感じられる悲しみの中で最大級のものであるという話をどこかで聞いたことがある。

祖父母はお見合い結婚だった。

祖母は厳格な人で、嘘や曲がった事が大嫌いな性格だったが、ひょうきんな面も持ち合わせており、おちゃらけた事をする人だ。60年間祖父一筋で、祖父が言葉を喋れなくなった後も、祖父の分までマシンガントークでお茶の間をわかせ続けてきた。

祖父からの言葉は殆どなくとも、コミュニケーションはこの2人の間でしっかりとれていたように自分からは見えた。私が祖父母と暮らしていた頃から、祖父が最後の1年で老人ホームに移動する直前のつい最近までも、その生活スタイルはほとんど変わっておらず、決まった時間に夕飯とお風呂、というようなスケジュールだった。

長い年月をかけて積み上げられた2人の生活スタイルは、私が生まれて間もない頃から、祖父が老人ホームへ行くことになる日までほとんど変化するする事はなかった。

老人ホームへ送ることへの罪悪感

「おじいちゃんのオムツ替えるのも大変でねぇ」と、ある時は祖母言った。腰を悪くし、少しの距離を移動するのにも大きなエネルギーを擁するようになった祖母が悩みに悩んだ末、祖父を老人ホームへ送ることにしたという。

長年同じ家で過ごしてきた生活とは一変かわり、祖父は老人ホームで過ごすことになったのだが、その後の祖母はずっと複雑な面持ちをしていた。自分にかかる負担が減った事、生活がある意味で楽になったこともあれば、寂しさや、祖父に対する申し訳なさなどもあっただろう。

結局およそ2年程の老人ホーム生活を経て、祖父は息を引き取った。

火葬場での別れ

火葬場で焼却炉に祖父の遺体を運ぶ直前、祖母は崩れ落ちて号泣した。ここ数年涙を流すことが多かった祖母だったが、この時の嗚咽混じりの泣き声は、なんかこううまくは表現できないが、沢山の時間を共にすごしてきたからこその、想いが熟成されて昇華されていくような、そんな音だった気がする。今までありがとうと、お疲れ様、ポジティブ、ネガティブ様々な気持ちが入り混じった、言葉では表現できないむき出しの感情そのものだった。

葬儀というイベントは人間に固有のものなのか?

チンパンジーやヒヒなどの母は、我が子の死骸を数ヶ月に渡って抱えて持ち歩くというのを聞いたことがある。

実際に動物たちの気持ちがわかるわけではないので確たることは言えないが、近しいものの死を悼む、というような行動は他の生物にもみられるようだ。

人間にとってはそれが、泣くことである、現代においては葬儀をあげることである。近しい者の遺体、亡くなったというじ実は、残されたものの感情を揺さぶり、本能的ななにがしかの行動を誘発させるのである。

おそらく人類の歴史において、死を幾度となく目の当たりにしてきた祖先達は、宗教を発明したり、葬儀というイベントをつくることで仲間の死が起こった時に発生する得体の知れない感情をコントロールしようとしたのだ。それが今現代日本国においては、火葬が一般的になっているという話である。

死を考える

死は、残された者にとっての学びである。種全体を通して見た時、一部の死を見て残りの生存者たちが危機意識を学習し、種の保存、環境適応の為にその経験が糧になるのである。

事実、家族の死、友人の死を人生で経験するたびに、私は今まで様々なことを考えさせられてきた。物事を意識的に考えるということ以外に、無意識的にもいつか来る自らの死において、気持ちや思考態度がそれに適応しつつあるのをかすかに感じる。小さい頃にあれだけ恐れていた死に対する恐怖が、歳をとるに連れて少しづつ薄れていくような感覚である。

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