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センスとは、知識と経験の集積である

  • essay

更新日📅 June 08, 2020

記事投稿日📅 September 21, 2018

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クリエイティブにおけるセンスの正体は、「知識と経験にる技術が表層化し、それを人が知覚した段階のもの」である。

この知覚された「センス」は、生まれ持った脳構造や身体的能力の影響を無視出来るほどに、知識と経験によってほぼ独占的に構成されている。というお話。

自己紹介で、出身大学やれ職業を告げると、「センスいいんですね」と言われることがある。美大卒業生なら皆一度は経験あると思うが、美大出ではない人に美大出であるというと、「絵上手いんですね!」と言われるあるあるのアレである。

「センスが良い」と言われるのは嬉しい。「良い」の部分に明らかな人の善意があるからだ。

ただ、たまにこの「センス」という言葉が使われる状況において、「美的センスて生まれつきのものでしょ?」という意味で自分が評価される時がある。

自分はこの、他人に安易に、自分の積み重ねてきた努力や時間を、「センス」という言葉で片付けられるのが好きでない。自分に無いものを持っている人間を「センス」という言葉を使ってすぐさま反射的に評価しようとする態度が好きではない。

センスという言葉が指すもの

センスという言葉は色々なものに対して使われる。

今回ここで主に題材にする「センス」とは、ものづくりにおけるデザインセンスに関してである。

一例だが、「運動のセンス」だと、ここで述べること以外に生まれ持つ身体的特長が絡む割合が絡む割合が大きくなる。「センス」という言葉が指すものが、その身体的肉体的優位性をそのまま指す場合であったり、先天的優位性が含む割合が異なるってくるので、一概に「センス」という言葉であってもこれらは同一視をしないものとする。

人は何にセンスを感じるのか?

結論からいうと、「他人が持つ言語化しずらい技術に対しての魅力」に対して端的に肯定的な評価を下したい時に「センスがいい」と表現するのである。

例えばここに一枚の出来のよい写真があったとしよう。この写真をとったAさんに対して、人々は色々な褒め方をするだろう。

  • 「センスがいいですね」
  • 「写真うまいですね」
  • 「スキルがありますね」
  • 「私これ好きです」
  • 「この○○の部分が特に好きです」

Aさんに賛辞を送る際に、どの言葉を実際に選んで言葉にするかは、様々な要因が考えられ、当人の性格やAさんとの関係性などにおいても違ってくるだろう。しかし、もし具体的にAさんの作品のどこが出来がいいのかを説明するとなった時、その時の言葉の選択肢は、発言者自身の「写真をとる技術に対する理解度」に大きく影響をうける。

写真に関して造詣が深いほど、「良さ」の分析に深みが増し、その写真がなぜ魅力的に見えるのかの正体がクリアに見えるのである。

上記の例でいえば、「見せたいモチーフ(被写体)と、そうでないものの画面内面積比、色相コントラスト、がハッキリしていて、撮影者が何に胸を打たれてシャッターを切ったのかが鮮明に想像できる。背景のボケ具合も、モチーフがなぜ魅力的に見えているのかの状況(撮影時間と撮影場所)が、くどくなりすぎず、ストーリー性を感じる程度のディテールの残し方が秀逸である」という魅力の正体に関する分析である。

プロの写真家と、素人では、同じ写真をみたときに得る情報にとても差があるのである。その写真の撮影者は何がしたくて、シャッターを切ったのか、プロの写真家であれば素人以上に鮮明にそれを知ることができる。

センスという言葉を嫌う人たち

仮に自分に技術があって、いろいろなものがクリアに見えていて、その良さであったり魅力であったりをしっかり言葉で説明するだけの力があったとしても、「センス」という言葉を使って簡潔に賛辞を送る場合がある。

聞いてる側からすれば、それをわかってて「センス」という言葉を使っているのか、わかってなくて「センス」という言葉でまとめているのかの違いは状況的に判断がつくことが多いので、一概に「センス」という言葉で褒める事が悪いといっているわけではない。

ようはセンスという言葉を嫌う人たちは、自分の費やしてきた時間、積み上げた努力と結果を、「センス」のせいにされるのが嫌なのである。

「センス」という言葉にはなにかこう、先天的に存在していた、努力もなにもせずに最初から備わっていた力という言葉のニュアンスがある場合がある。

状況的にそういった意味で使われたことがわかる「センス」という言葉の賛辞は、長い時間努力を積み上げて、それを誇りにおもっている者にとっては素直に喜べない事がある。

もちろんそれが賛辞であることが明確ならば、相手の善意を汲み取り、謝辞を言うのが礼儀であろう。

ただ、「センス」という言葉は、常に善意とともに使われているとは限らない。世の中では、わけがわからず説明のつきにくいことは全て「センス」におきかえてニュートラルに人間を評価する輩が一定数いるのである。

人を評価する際には当然、正当に評価するための分析ができてしかるべきだと思う。もしあなたの言葉の「センス」の意味が、分析を伴った上での「センス」でなく、そこに明確な善意が伴っていないのであれば、それに不快を感じる人もいるかもしれない。

センスは身に付けるもの

「センスが良い」と言われる状態とは、自分の技術が評価されたときの状態である。人によって言葉での表現の都合上、その評価に「センス」という言葉を使うのである。

つまり、技術を高めることでセンスは良くなるのである。「センス」の正体は「知識と経験にる技術が表層化し、それを人が知覚した段階のもの」である。

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