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ロックマンに憧れてドラクエ5を買った時の話

  • essay

更新日📅 June 08, 2020

記事投稿日📅 March 28, 2018

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ロックマンに憧れていた

小学校に上がる前の私がもっともクールだとおもっていたものの一つに、ロックマンがあった。当時スーパーファミコンを所持していた私は、アクションゲームとしては「スーパーマリオワールド」、超絶難易度を誇る「サンドラの大冒険」などをプレイはしていたが、ロックマンシリーズのゲームは、ゲームボーイ版のロックマン2とロックマン3を所有している程度だった。当時、スーパーファミコンにロックマンのゲームはなかったのである。

自分でもなんであんなにロックマンの事をカッコイイとおもっていたのかわからない。とにかく好きで、憧れていた。ファミコンを所有している友達の家にいってはロックマンをやらせてもらい、ガシャポンでロックマンのカード(確か当時20円で1枚)を集めたり、ロックマンの顔の絵を毎日練習したりしていた。当時の私は、ロックマンのイラストを描くときに鼻のパーツを描くことが苦手で、結果いつも「鼻無しロックマン」になってしまっていた事を覚えている。将来はロックマンになりたいとおもっていた。

小学校1年生になってしばらくすると、通学路にあるゲームショップに、見慣れないデザインのロックマンがある事に気がついた。ついにスーパーファミコンにも、ロックマンが来たんだなと理解したが、その時はそこまで興味がわかなかった。恐らくロックマンXのデザインがそんなに好きじゃなかったのだろう。今までのロックマンのデザインに慣れ親しんでいた小学校1年生の私にとって、あの初代ロックマンXのデザインはいささかアメリカン?すぎたのである。

マツザカ君という存在

私が小学校1年生から3年生というと、まさにスーパーファミコンの黄金期で、初代ロックマンXのリリース以外にも、クロノ・トリガー、トルネコの大冒険、聖剣伝説2、ゴエモン2などの名作が飛び出して来た時代である。

当時わたしには、マツザカ君というゲーム好きの友達がいた。土日はマツザカ君の家で一緒にスーパーファミコンをすることが多く、当時これら、のちに名作と言われることになるゲームを一緒にプレイするのが私の楽しみだった。マツザカ君は如何なる時も、私よりゲームが進んでいた。

ある日私は、いつも通りマツザカ君の家に遊びに行ったのだが、その日マツザカ君が私の前でプレイしてみせたのは「ロックマンX」だった。パッケージデザインの第一印象がよくなかったため、たいして気にもとめていなかったロックマンの亜種。この時の私は、ロックマンXを正直舐めきっていた。

Xの衝撃

いつも通りマツザカくんは、カセットをフーッと一回拭いた後にスーファミ本体に差し込んで電源をいれた。ロックマンシリーズはゲームの進行度はパスワードで管理される。続きからプレイするためには、毎回ゲームはじめにパスワードを入力する必要があるのだ。

12桁のパスワードを入力して、ステージ選択画面に入る。流石にスーパーファミコン、グラフィックのレベルがファミコンと違って圧倒的に綺麗だった。音楽もよりロックでかっこいい感じ。小学生の頃の私はなにかにつけて新しいゲームの影響を受けやすかった。「思っていたより面白そうだな・・・」とマツザカ君のプレイを見ながら、私はすでに思い始めていた。

さて、マツザカ君のプレイを大人しく眺めていると、マツザカ君の操作するXが、「穴」に落ちた。いや、落ちたというより、自ら飛び込んで行ったように見える。Xは穴を飛び越えようとジャンプをしたのだが、向こう岸に届くことなく、無情にも落下してしまう。アクションゲームにおいて、「穴に落ちる」とはイコールで「死」である。マリオだろうがサンドラだろうがゴエモンだろうがそれは共通の、アクションゲームと名のつくものの中での普遍的な理である。ゲーム慣れしているマツザカ君にしてはやや不可解な行動であった。というのも、穴の大きさはジャンプで越えられるか超えられないかギリギリの距離感、通常であればジャンプで踏み切るギリギリのラインまでダッシュをして、崖っぷちでジャンプを試みるはずである。ところがどっこい、このマツザカ氏、崖っぷちギリギリまで助走をつけるどころか、「ホップ、ステップ、ジャーンプ!」でいうところの、「ステップ」の「プ」あたりで既にジャンプを始めていた。当然マツザカ君の操作するXは、結構余裕で向こう岸に届くことなく、無情の自由落下を決め込んでしまう。私はこの時、「あ、もしかして自殺プレイ?一回死んで、ゲーム交代してやらせてくれるのかな?」という期待が脳裏をよぎった。そしてその期待は次の瞬間、あっさりと裏切られる。

なんと、落下を決め込んでいたXが、対岸の壁を蹴り始めたのである。壁を蹴った反動で上にジャンプし、また壁を蹴り上にジャンプする。落ちてない。むしろ落ちないどころか少しずつ上昇している。

「え!?」

「ん?壁蹴りだよ。ロックマンXでは壁が蹴れるんだよ」

小学校1年生の私にとって、いままでそれなりにアクションゲームをプレイしてきた自負のある私にとって、この「壁を蹴れる」というのはものすごい衝撃だった。わたしにとってアクションゲームとは、基本的に画面の左から右側彼方にあるゴールにむかって、ジャンプをしたりアイテムを利用したり敵をさけたりして進んでいくゲームであって、途中で敵に触れてしまったり、ジャンプをみすって穴に落ちると死亡、というのが通説だった。しかし、このロックマンXでは、壁を無限に蹴れるのである。壁を無限に蹴れるということは、穴に落下して死亡するという概念が存在しないということを意味していた。マリオでも、サンドラでも、過去のロックマンシリーズにおいても、「落下死」はアクションゲームにおける最大の死因であった。それが、存在しない・・・そんなことが許されるのか?

もう私は画面に釘付けだった。「壁を蹴れる」、これだけのことで、ステージのあーんなところにも、こーんなところにも行けてしまうでは無いか、と想像が膨らむ。カプコンは天才だ、と思った。壁蹴りをすれば穴に落ちないシステム。完全にロックマンXを見くびっていた。「おいおい、ロックマンより全然ロックじゃねえかよ」と心底惚れ込み、将来はロックマンXになりたいと願った。もちろん帰り道は、マンションの壁を蹴りまくりながら帰宅した。現実世界での壁蹴り修行の幕開けである。当時の私は、本気で壁蹴りは練習すればできるものだとおもっていた。ドラゴンボールみたいによくわからない力で「空中に浮く」というよりは、壁を蹴って上にジャンプは、脚の筋肉を鍛えればできそうに思えたのである。壁を蹴っているから上にジャンプできる、というのは筋が通っていて、小学一年のわたしには大変説得力があったのだ。

Youtubeで見つけた参考動画(私のプレイ動画ではない)。

母の英断

その後、母親に駄々をこねてロックマンXを買ってくれと懇願した。ゲームショップについて、母はゲームのパッケージをみるなり「こういう、破壊とか暴力がたくさんでてくるようなゲームは、お母さん駄目だとおもうな」と言い始めた。確か、当時新作のスーパーファミコンソフトというと、新品なら10000円以上する代物だった。そのゲームショップでは、ロックマンXの新品も10000円以上していた記憶がある。かなりお高い買い物である。母子家庭、ボロアパートに母子二人で生活し、祖父母の助けも借りまくる必要のあるレベルには貧乏だったので、金銭的にもずいぶんな要求をしていたなと今では思っている。

母がロックマンを暴力的で破壊的だと本当に思い買うのを渋ったのか、その金額をみて買うのを渋ったのかおそらく理由は両方あっただろうがとにかく渋られてしまった。自分でいうのもなんだが、母は私に甘い。私自身頻繁にゲームを買ってとせがむようなタイプではなかったとおもう。毎年誕生日にはゲームソフトを毎回何か一本買ってもらっていたが、それ以外のなんでも無い日にゲームを買ってとせがむことは稀だったように記憶している。私は私で母の態度や言動に敏感だったので、少しでも拒否されようものなら大抵はすんなり諦めることを学んでいた。ロックマンXは大変魅力的なソフトだったけれども、買うことはできない。マツザカ君の家でプレイすればいいじゃないか、とそう自分を言い聞かせていた。母も母なりに、誕生日でも無いにもかかわらず、息子の欲しいものを買い与えてあげたいという想いが最初はあったからこそ、子供と一緒にゲームショップまで足を運んでくれたのだ。けれど、彼女は結局ロックマンXを買わないことを決定した。

私は心底残念だった。私の中では、ゲームショップまで一緒に来てくれる、という時点で「買ってくれるであろう」ことは決定事項だったのだ。「ロックマンXは破壊のゲームだから買いたく無い」と言われてしまった。店頭ディスプレイのデモ映像では、ロックマンXが腕のバスターでロボット達と戦うシーンがループで流れている。爆発につぐ爆発。わたしは、「ロックマンXは、ロックすぎる」と思った。私は今まで母親の前ではずっと「可愛い可愛い息子」を演じて来たつもりだった。可愛いものが好きで、となりのトトロやドラえもんが好きで、Xじゃないロックマンにでてくるラッシュやビートが好きな、可愛いもの好きな小学校1年生。本当は友達の前ではいつも「俺」という一人称を使っていたけれど、保育園や小学校の保護者参観など、親がみている前では、友達の前でも一人称が「僕」になってしまうような、そういう6歳児だった。母は、可愛いものが好きな「僕」を好きでいてくれてるんだから、そういう「僕」でないといけない、という意識があった。それ故に、ロックなBGMで破壊の限りを尽くすゲームを「やりたい」と意思表示するのはとてもとても勇気のいる事だったのだ。「将来ロックマンXになりたい」という事だけは悟られてはいけない。毎日「壁蹴り」を練習している事だって隠し通さなければならない。子供なりにそんな覚悟をもって「購入のお願い」をしたのだが、断られてしまった。それが無念であり、恥ずかしくもあり、残念でだった。

おそらくそのゲームショップの中で、私はとてもとても残念な表情をしていたのだろう、みかねた母が、「お母さん、こういうゲームの方が好きだな」といって一本のソフトの空箱を持って来た。

ドラゴンクエスト5 - 天空の花嫁 である。

どこかでみたことあるような絵柄だなと思い、母親の以外なチョイスにびっくりした。私はこの時「ドラクエ」に関して何にも知らなかった。空箱の裏側を見ると、ゲームのスクリーンショットや説明が書かれている。読めない漢字が多かった。「大人がやりそうなゲームだな」というのが第一印象だった。近所に住む同じ小学校の上級生のお兄ちゃん達が、「ドラクエ」の話を通学中にしていたのを聞いた事があったのを思い出した。「なるほど・・・、ドラクエねぇ・・・」、思いがけない母の不意打ち提案もあり、私は考えた。自分がドラクエをプレイするなんて考えてもいなかった。自分も大人の仲間入りができるかもしれない。案外面白いのかもしれない、いや、面白いに違いない!

再びドラクエ5の空箱のおもて面のイラストを見る。

イラストの下部にいる青色のスライムと、イラスト上部のドラゴンぽいモンスターが気になった。かわいいし、カッコいいと思った。絵を見れば見るほど何故かワクワクする。「母が提案してきたゲーム」という事実も私に大きく影響を与えた。普段アニメやゲームに関して口出しすることのない母が、「好き」と言っているという事実はとても大きかった。

私は母の提案をのみ、「ロックマンX」の代わりに「ドラゴンクエスト5 - 天空の花嫁」を買うことに決めた。人生初のドラクエである。ドラクエデビュー。私はドラクエに夢中になった。今思えば、この時のこの母のチョイスは私の人生を大きく左右する英断だった。ドラクエ5以降、私がプレイするゲームのジャンルはアクションゲームメインからロールプレイングゲームメインになり、小学校6年生時には卒業文集で「ゲームクリエイターになる!」といわしめ、その後の人生の選択を大きく左右する最初のキッカケをだったといってもよい。

と、ふと急に昔の事を思い出したので書いてみた。

小さい頃はあんなにあったゲーム熱も、大学生、社会人になるとめっきりなくなってしまっていた。けれど最近のEスポーツ界隈の盛り上がりや、ゲームを制作する側になる機会に恵まれている事もあいまって、再び少しずつゲーム熱が呼び起こされているように思う。

個人的にはぷよぷよテトリスが盛り上がると嬉しい。

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